2010年02月03日

頭の中に算盤が

02月03日(水) ♯1313

 数箇月ぶりに小樽市を訪ね、小樽市内で福祉の仕事をやっているホーマーさんに会う。ホーマーさんとは初対面でこそないものの、ずいぶん久しぶりの再会ではあった。おそらく6年間ぐらいのご無沙汰だったと思しいが、往時と変わらずお元気そうだったのは何よりであり、改めて年齢を伺って仰天したほど現在もなお若若しいのだった。
 根掘り葉掘りあれこれ訊いたのち駅前で別れたら、午後2時をまわっていた。急に腹が減ったので学生時代にいく度か利用した都通りのケーンという大衆支那料理屋さんを訪ね、炒飯を喰う。ケーンの接客係として実際の忙しさの1.5倍ぐらいの忙しさを演出しながら店内を走り廻っていたおばさんは21世紀も健在で、本日も私を含めて4組5人の来店客しかないのに恰も30組ぐらいの註文を捌いているかのような形相で汗だくになって店内の室温を上げていた。
 食後ただちに帰札しようと思ったが、たまにはトンガリ事務所にお土産でもと思い、なるべく廉く済む物はないかと市中を物色していたら、有名ではあるがそれなりに大衆的の饅頭屋さんが近くにあったことを思い出し、同店のあった地を訪ねてみたらこれも健在であった。白い帽子に白い前掛けで饅頭を焼いていたおじさんに「10個ください」とそう言い、「今から焼くから待ってて」と言われて待機。壁を見やると、少なくとも20年前から貼られていた筈の価格早見表も健在で、相変わらず過剰に親切に饅頭の価格が綴られてある。即ち「1個75円」「2個150円」「3個225円」「4個300円」という具合に1個刻みで「40個3000円」まで記されていて、個数が増えても割引きはなされないからただ掛け算をやればよいのだけなのにも拘わらず、「11個825円」「27個2025円」「34個2550円」などと律儀に40項目が立てられているのだ。
 焼き上がりを待っている最中、奥のほうから観光客と思しい背の高い青年が飛び出してきて、携帯電話を耳にあてながら店外に出てどこかのお友達にお店の位置を説明し始めた。その様子を眼の端で観察しながら饅頭を焼いていたおじさんが、とても含蓄のある語りを披露し始める。
 「今はみんな携帯電話だもねえ。して、あのメールだもねえ。私らはああいう機械ものは全然駄目だも。釦もなんも、小さくて押せないしょ。私だら計算機も駄目だから。あれでも小さいから。もう、押さないでいい釦まで押ささるもんだも。だからやっぱりあれ、算盤が一番いいんだ。私、これでも級持ってるからね。算盤のほうが計算機より速いんだよ。算盤やってるひとは頭いいんだよ。算盤やってるひとは、みんな暗算できるようになるのさ。頭の中に算盤あるんだから。算盤なくても、頭の中の算盤で計算できるんだから。算盤やってるひとはみーんな暗算できるんだ。頭いいから」
 力説するおじさんの真後ろに「13個975円」などと書かれた価格表。暗算、ほんとにできるのですかおじさん。
 札幌に帰るJR列車の車窓から氷点下の日本海を眺めていたら、今はなき張碓駅と今もある銭函駅との中間あたりの浜でサーフィングに興じるひとたちの勇姿が見えた。なんかもうその光景だけで体感温度が2度ぐらい下がるのであり、思わず「気を確かに」と叫んでサーフ板を取り上げたくなってしまったことである。  
Posted by 小笠原 淳 at 21:45Comments(0)新・小笠原日記

2010年02月02日

片肩の法

02月02日(火) ♯1312

 このごろのレンタルDVD屋さんというのは頗る親切になっていて、お店の営業していない時間帯にも返却という作業をすることができるようになっている。借りていた洋画やら邦画やら成人向け邦画やらを専用の投入口から投函するだけで返却が終了したことになり、これは甚だ便利のはからいだ。本日午前8時半ごろにその投入口を訪ねたら、私のほかにも20歳代半ばぐらいの青年と40歳代後半ぐらいの奥様とがいらしていて、各各が借りた品を投げ込んでいた。続けて私も投函しようと思ったら、最初に投げ込もうとしたひと組が分厚すぎて投入口に入らない。無理に押し込めてみんなの投入口を破壊するわけにはゆかぬので、一計を案じてDVDの袋を開け、任意の1枚を取り出してから残りを袋ごと投入口に突っ込み、突っ込んだほうの手を離さずにもう一方の手で先の1枚を突っ込み、而して投入口の向こう側の空中で改めてその1枚を袋に格納し直す、という技術を発明し、これを実行した。策戦は無事に成功したのだが、袋から取り出した任意の1枚がたまたま成人向け作品だったので、現場を去ってから暫くは人知れず早朝の桃色風景を反芻しては含み笑いをやる奇抜のひとになってしまった。
 札幌市東区のトンガリ事務所でさして複雑でもない作業に手を拱いていたら、車のシートベルトを決して締めないことで知られるピッチャーさんがお昼に誘ってくださり、豪華な鶏照り焼き定食を気前よくご馳走してくだすった。昨夜といい本日日中といい、なぜ突然無料で飲み喰いする幸福が連続することになったのか。お世話になりついでに「ちょっと本屋さんまで送ってくれませんか」と頼んだら、ピッチャーさんはこともなげに「いいよ」と仰言って巨大のショッピングセンターまで車で送ってくだすった。親切に敬意を表し、助手席の私もシートベルトを締めずに一蓮托生の助手を務めたことだ。
 ショッピングセンターには本屋さんのほかにいろいろのお店が軒を連ねていて、その多くは洋服屋さんであった。「洋服屋さんが多いですね」と言うと、ピッチャーさんは無表情で「おれは全然興味ないけどな」と仰言る。恰好よい、と私は思った。ピッチャーさんは私よりも歳がひとつ上で、ここ暫く独身をやっているが、同時並行でお付き合いなさっているご婦人が少なくとも3人以上いらっしゃる甲斐性の塊だ。その塊にして、ひとり洋服の話題だけはご婦人とまったく関心が合致しないという。「私もそうなのですあれはまったくめんどくさい」「いかにも奇っ怪窮まるねこの場合はシャツをズボンの中に入れてよいとかよくないとか全体誰が決めたのだ」「そうそういつの間にそんな法が敷かれたのかというのですよ」「このような鞄を持ってはならぬとか言われたことがあるが便利の鞄ならば持って当然だろう現に製造販売されているのだし」「そうそう私も先日QOLさんに叱られたのですリュックサックを両肩で背負ったらそれはやめてくれどちらか片方の肩だけで担いでくれと」「それについてはQOLさんが正しいね」「ええっ」。
 夜、QOLさんから電話があったので改めて質してみた。「やはりリュックサックを両肩で背負ってはいけないでしょうか」。1秒と待たずに回答が聴こえ、曰く「いいけど私は5メートルぐらい離れて歩くからそのつもりで」。
 ものすごく悩んだが、やはりこれから一生5メートルの距離を置いて歩き続けるとなると道中で互いに見失う惧れがある上、常からものすごく大きな声で会話をやらなければならなくなって咽喉に大きく負担のかかる人生になる。私は泣きながら左右どちらかの肩からリュックサックを外し、リュックサックを発明したひとやその普及に尽力したひとや市場を支えた多くの消費者やに心で詫び続けるしかないのか。そこまで考えてから、突如思いついた。
 片方づつ、ふたりで協力して背負うというのはいかがでしょう。
 しかし、朝っぱらから桃色風景で含み笑いの男にそのような美しい提案をやる資格なぞある筈もなし。  
Posted by 小笠原 淳 at 23:20Comments(1)新・小笠原日記

2010年02月01日

パッチがあれば

02月01日(月) ♯1311

 札幌市東区のトンガリ事務所が、たいへんなことになっていた。あまりの寒さに脳に変調を来たしたのか編輯部の約半数のひとたちが「禁煙に挑んでみよう」なんぞ言い出し、こぞって各各の二の腕にニコチンパッチなる物を貼り附け始めたのである。しかし、くだんのパッチを貼り附けるや否や「おおこれは効く」なんぞ叫んでいた大トンガリさんの言を引くまでもなく、それはつまり経口摂取ではない方法でニコチンを摂取してみたということであって、ただちょっと趣向を変えた喫煙をやっているに過ぎないのである。あろうことか1時間ぐらいのちにはパッチを附けたままキャスターマイルドを喫い出したりして、却って常よりも身体に悪い人生になっているのだ。賢い私は己れの身体が大事なので、パッチなぞというやくざな嗜好品には手を出さず、旨いピースをぶかぶか経口摂取し続けるだけである。
 躁夢省に電話をかけて記者クラブに繋いで貰ったら、この間首都でちょっとだけお会いした痣秘新聞のひとが出た。「クラブ総会で大臣会見の参加資格が拡がったそうですが」「いいえ拡がりませんでした」「では1月と変わらないのですか」「ほとんど変わりません」「いつごろ変わるのですか」「わかりません」。あまりにすっきりしていて罪がなく、思わず受話器にニコチンパッチを貼り附けたくなったことである。
 4年ほど前にお世話になったНХКのアンタッチさんに電話をかけて、さらに6年ほど昔の話をあれこれ訊く。それで初めてわかったが、札幌市北区にあったテント村を最初に映像で取材したのはアンタッチさんだったらしい。あまりにさらりと言うので驚き、さらに「ちょっと待ってください」か何か言いながら2分ぐらいで当時の資料を引っ張り出していろいろ説明してくれたので驚きが倍になった。なんと整理整頓に長けているのだろうさすがは優秀の報道びと、と思ったら現在アンタッチさんはニュース番組ではなく動物の楽しい番組に夢中なのだということだった。共通の知り合いである脳性麻痺のナツイによろしくと言われ、適当にわかりましたと答えておく。
 夕方になってから恐恫通信のちょっと偉いひとに電話。偉いひとはちっとも偉そうではなく、予想を超えて頗る親切であった。思わず貼ってもいないニコチンパッチを受話器から剥がしたくなったことである。
 夜、札幌市中央区のスージーさんのお店で写真を撮らなくてはならなくなり、同店に赴く途中で同区の十九堂書店に寄ったら、いい匂いの書店員として知られるたかこさんがいらした。昨年末に太一郎くんが忘年会をやりたがっていたので、その旨を話して2月か3月にも仕切り直そうと合意。年末年始に風邪を引いていたらしく、「風邪は辛いですよ」とたいへんためになる智慧を授けてくだすった。
 スージーさんのお店はなんか貸し切りで大きな催しをやっていたらしく、100人ぐらいの紳士淑女でごった返していた。午後8時半ごろに催しが落ち着いてひとが減り始めたので、頃合いを見計らって10分間ぐらい適当に写真を撮る。すぐに帰ろうとしたら「飲んでゆきたまえ」と言われたので、「いえけっこうですけっこうですけっこうです」と2秒間に圧縮して3度辞退をやり、なお勧められたのでまんまとカウンターに腰掛けてビールや芋焼酎などを戴くことができた。催しの皆さんがまったく手をつけずに残していった贅沢な毛蟹を贅沢な喰い方で喰い、初めてお会いする紳士が「お前のためにつくらせてやったぞ」という壮大な嘘とともに出してきた牡蠣入り蕎麦というのを喰い、気が大きくなって芋焼酎を5回お代わりした後、スージーさんに「ところでこちらの客単価はひとりあたりだいたいおいくらぐらいですか」と尋ねたら、スージーさんは無表情で「6000円ぐらいかな」と仰言った。慌ててジーパンのポッケを繰ると、1000円紙幣が4枚。一気に蒼褪めて「すいません本日のお代は附けというわけにゆかないでしょうか」と窺うと、スージーさんはこともなげに「うん大トンガリくんに附けておくから」と仰言った。
 地上は幸福に満ちている。看板の時刻を過ぎてなお盃を重ね続けるジーパンゴム長の41歳男を、たまたまいらしたらしいスポーツ新聞のひとが怪訝の表情で眺めていたことだ。もちろん私は大トンガリさんへの報告を忘れない。「どこで何をなさってますか」「仕事中なんだけど」「そうですか私はあなたの附けで毛蟹と牡蠣と芋焼酎とを楽しんでいます」「それはともかく撮影は無事終えたのかね」「撮影よりも芋焼酎ですごきげんよう」。
 ほんの一瞬、こんなことではいけないな、と思ったが、その殊勝の料簡も芋焼酎の威力でたちまち無限遠の彼方に。もしもそこに芋パッチがあったら、倍の無限遠に。  
Posted by 小笠原 淳 at 23:21Comments(0)新・小笠原日記

2010年01月31日

検討します

01月31日(日) ♯1310

 わが陋屋のパソコンが明治時代のパソコンのように動きが遅いからなのか、あるいは私が生まれつき稀代の怠け者であるせいか、どうも自宅に籠もっていると作文が捗らない。「どうも」どころか全然捗らない。トンガリ事務所に赴いて近代的のパソコンを使えばその気になるかもしれないと思ったが、思っただけで行動には移さないのだった。陋屋を出るのがめんどくさかったためである。と言って片付けるのも情けないのでいちおうちょっと外出したのだが、なぜかトンガリ事務所と反対の方向に自然に足が向いてしまい、気がつくと札幌市北区の創成川の川面を眺めて「川底に点点と見える白いものは何だろう」とひとり考え込む危険のひとになっていた。
 重要な用事で仙台市の詩ノ原さんに電話。5年ぐらい前のことについて根掘り葉掘り訊き、無理やりあれこれの記憶を辿って貰う。約1時間半に亘って私の知らぬ多くのひみつを教えて戴くことができたので、お返しに詩ノ原さんがご存じないと思われるふたつ三つのひみつを教えて差し上げたら、ひみつがあまりにひみつ過ぎたためたいそう驚かれてしまった。ビール会社にお勤めの詩ノ原さんと「朝日麦酒の超乾燥というビールは殺人的に不味いのになぜあれほど売れているのか」などの陰口を楽しんでから電話を切ったら、すぐに別の所から電話が鳴った。
 何度かお世話になった放送屋さんからであり、3月上旬に小規模の講演会のようなものがあるので講師をやってくれというお話だった。すぐお断りしようと思ったのだが、なんだかひと選びに難航しているようでもあり、そういうことの大変さは少しばかり知っているので、なかなかはっきり「厭です」と言うことができない。以前似たようなことを頼まれて引き受けた際も、大勢のひとの前で喋るのが苦手な私は規定の時間の半分以上を自ら撮影した映像を再生することで埋め、つまり喋りを映像で誤魔化すということをやったのだが、今はもう秘蔵の映像もないし喋りの技術も当時からまったく進歩していない。本日は取り敢えず「前向きに検討します」という公務員さん御用達の殺し文句を放っておいたが、なんとなく今回も引き受けざるを得なくなるような気がするのである。先日初めて官庁記者会見というのに参加して大臣に質問をするということをやってしまった私は、薄薄ながら「こういうことをやってしまった以上は逆の立場になっても逃げてはいけないな」と公平の原則を意識してはいたのである。いたのだけれど、すべての物事にあまねく公平にあたる人生なぞもともと無理だし、ひと前では必ず面白いことを喋らねばならぬという無駄な自意識もあるし、さりとて堂堂とお断りすることのできる合理的の理由を拵えるのもめんどくさいし、なんかもうすでにして疲労困憊満身創痍なのである。
 ほどなくしてブラックニッカクリアブレンドがすべて忘れさせてくれたので、それをもってすべて解決したと考えることもできるのだけれど。  
Posted by 小笠原 淳 at 23:22Comments(1)新・小笠原日記

2010年01月30日

グーじゃないですか

01月30日(土) ♯1309

 午前3時きっかりにJR札幌駅を訪ねたら、一番乗りだった。後からわかったことには、集合時刻は3時ではなく3時半だった。
 国が毎年やっているホームレス概数調査というのがあって、それは毎年ほぼ同じ時期に全国各地で行なわれることになるのだが、その時期というのがあろうことか1月なのである。1月の北海道でホームレスの人数を把握しようとはおもくろい話であり、どういうわけかと国に訊いたことがあるが、国のひとは大意「仕方がないのです」と言うばかりだった。積雪寒冷地のホームレスの中には、凍死を避けるべくひと晩中外を歩き廻っているひとがけっこういる。移動しているひとたちの人数を正確に把握するのが困難であるということは、子供でもわかる道理だ。
 3時半までに集まったのは学生社会人元ホームレスその他取り混ぜて35人。調査は国が都道府県及び政令市に丸投げし、投げられた自治体は民間団体に投げ流すことになるわけだが、本日は市からも4人ぐらいが顔を出していた。感心なことだが、これでもし時間外手当を貰っているようならあんまり意味がない。民間調査員の報酬は一律1000円なのだ。私も貰った。なぜなら調査に参加したから。何年か前までは取材という理由で現場に同行していたのが、いつの間にか調査員の頭数に加えられてしまっていたのである。もちろん、やりながら独自に記録したりはするわけで、それで1000円返せと言われたら返すしかないのだが。
 こともあろうに最も苛酷と言われる中央区のひみつ地区を担当させられ、与平くんやベッサンソンのひとや市職員の青年やとティームを組んで1時間半ほど地区内を彷徨徘徊逍遥。地区を分担する際にじゃんけんをやることになったが、与平くんと私とでじゃんけんの掛け声の間合いが異なっていて多少難儀する。「最初はグーじゃないですか」「何それ」。いく人かの就寝中の路上びとを確認できたが、歩くうちに時間が過ぎてゆくのは致し方なく、後半はすでに眼を醒まして活動を始めようとしているひとにも出くわした。「父さんホームレスかい」「おう」「このへんほかにいるの」「おれひとりだ」「生活保護とか考えてないの」「まだいらん」「したら気いつけて」「おう」。
 札幌駅に帰還したのは午前5時半。学生の中衿さんに集合写真を撮ってくれと頼まれていたので、全員が戻るまで待つことに。遠くは南区真駒内や西区宮の沢、厚別区厚別南などにも調査員が散っているため、全ティームが帰還したころには7時近くになっていた。半ば意識を失いながら学生調査員たちの集合写真を撮ったら、先日直った筈のストロボが再び壊れ、一瞬にして眼が醒める。集合写真には、なぜか元ホームレスの趣村さんも納まっていた。
 定食屋さんで朝めしを喰ってから帰宅、2時間ほど午睡したのち北区北24条へ。音楽家をやったり喫茶店主をやったり元ひきこもりをやったりしているミューザさんのお話を聴き、またしても眼が醒める。話し込むほどに共通の知り合いがいく人が登場し、いかにも札幌は狭いと思えるのだった。まだお会いしたことのないミューザさんのお友達のひとりに、近く会ってみようと決める。
 本夕上演されるお芝居のテケツを手配してくださるというひとがあったのだが、急遽中止に。ミューザさんのお店を辞して10分間ぐらい経ってから不意に眠くなってきたので、ちょうどよかったことである。楽しいお芝居のさなかに居眠りをやるという無礼を避けることができた。
 夜になってまたいく度めかの発見。ほどほどに眠い時にお酒を飲むとなかなか酩酊しない、という法則である。実際には眠気のあまり酩酊に気づかなかっただけなのかもしれないが。  
Posted by 小笠原 淳 at 23:23Comments(0)新・小笠原日記